みなさん、こんにちは。麦子です。最近はだいぶ寒くなり、冬が大好きな私としてはニヤニヤしております。
今日はたまに思うことをお話しようかと思います。伝えられるかどうか難しいんだけど、できる限り言葉にしようと思います。
私は物心つく頃から義足なため、義足であることが当たり前でした。なので、特別扱いや義足を理由に甘やかされることがとても苦手でした。
小学生の頃「麦ちゃんは人一倍頑張ってるね」と大人達によく言われていました。集会の時にも「みんなで麦ちゃんを支えてあげようね」「麦ちゃんを見習おうね」と先生方にも言われていました。
私はその言葉を聞いた同級生の目が、冷たい色に変わるのを見ていました。「お願いだから、褒めないでほしい」「私はみんなと同じことをしているだけだから」と、ずっと孤独に思っていました。
大人になった今「きっと仕方のないことだったんだなぁ」と思えたのは、見守る側にある大人の気持ちと、子どもの純粋さが分かるようになったからだと思います。
大人達にとってみれば、やっぱり周りとは違う条件の中で同じことをしようとしている人は純粋に「すごい事」だと思うし、きっと私も知らない人であれば同じように思うのだろうなと思うのです。
ましてや教育者として(言い方がとても悪いけど)きっと先生方にとっては良い教材だったのかもしれないなぁと。
そして子ども達にとっては、私が義足であることが障害とかの区別はなくて、ある意味「当たり前のこと」だったのだと思う。私が義足なことは周りとは違うことだけれど、だからといって特別でもなんでもない、私が義足である事は当たり前の事だったんじゃないかなぁ。
大人が思う「すごい!」っていうポイントと、子どもが思う「すごい!」っていうポイントが違うから、子ども達にとっては「なんであの子が褒められるの?」って気持ちになったんだと今では思う。
何が正しいのかは人それぞれ違うし、正解なんて物はないのかもしれないけど。それでも子どもの居場所を作ってあげられるのは大人だからできることなのかもしれないですね。