生きてるという証明

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今日は父の日なのでお姉ちゃんの運転で銭湯へ

そこでご飯も済ませて、久々にのんびりさせられたかな?と思ってるよ

 

20歳を越えた頃から“生きてるという証明”を考えるようになってた

誰かを愛し愛されることが生きてると言う人もいて

仕事ができる、やれるということで生きてると言う人もいて

なにかを達成することによって生きてると言う人もいる。

 

私はね、仕事ができることが生きてると思ってる。

前にもちょっと言ったかもしれないけど私は学生時代とちょっと前までアルバイトで悩んでた。

足がないから、義足だからという偏見で断られることも、門前払いもよくあった

だからこそ仕事をさせてもらえる。それだけで嬉しいし、あー生きてるんだ…って思える

 

私は障害階級でいうと3級にあたるんだけども

これぐらいになると、色んな特権が貰える。市から1年間で使えるタクシーチケットを48枚ぐらい貰えたり

公共交通機関の一部で割引が出来たり

そして、生きるための障害年金が貰えたり

だからこそ、一般的な考えで言うと

“そんなんなら働かなくてもいいんじゃない?”って

でも、それって生きてるって言えるのかな?って

私は自他ともに生きたい。親に充実した人生だったよ!っていつか必ず報告出来るように、働いて趣味でお金使って、そうして満足していたい。

 

なんか、ブログ書くと毎回ネガティブ…な気がする…

 

あっ!義足ナイト来てね!

こみみさんとは欠損部位が違うから

2種類の義足が拝めるよ!義足あるあるとかも話せるかな?楽しみだよ!

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