私という存在が

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弟の授業参観とか、人の目に付く学校行事がある時に弟に聞くんです

「その学校行事さ、私が行ってもいい?大丈夫?」って

私自身が、人の目に晒されるということにより、弟がいじめの対象になってたりしたらとても嫌だし、申し訳ない気持ちが膨れ上がるので

今までも、家族で出かけたりすると見られることがある時にスッと歩くスピードを落として家族から離れて歩いている事があるとその気持ちに察してるのかわからないですけど弟は「お姉ちゃん、遅いよー。早くー」って言ったりと

私は、自分自身というものがあることにより、弟の心の成長に繋がっているとしたらとても嬉しいと思ってるんです。ブラコン発言かもしれませんけども(笑)

この時代だからこそ、欠損してる人達や知能が普通の人より遅い人達色んな人がいる中

こういう欠損してる人が身近にいると

“障害がある人”“健常者”という分け目を持たず、どんな人でも人なんだ。という考えを持つことができるのかな?と思ってるんです

 

そんな中、義足をつかう。松葉杖を使うことによってやっぱり人より疲れることがあります

手の豆はいつもの事のように。

とても大変だし、うーって思うこともある。けれども日々楽しい

受け入れてくれる人達がいると

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